国鉄の影響で

東京オリンピックが開かれる直前であった1964年に登場することになった0系新幹線は、これまで考えられていた鉄道技術を詰め込むことで出来上がりました。最高峰の車両となり、驚くほどの速度を記録することになります。営業運転としてみても、世界で初めて200km以上の速度となったことによって、高速鉄道の歴史の扉を開けた存在になったといえるでしょう。初期の新幹線として、だれもが強いイメージを持っているのは、当然の結果といえます。2008年に最期を迎えることになりますが、開業から44年にわたって運用されていくことになるのですから、いかに優れた設計思想を持っていたかがわかります。

逆に言えば、耐用年数以上に使っていかなければいけなかったことも理由がありました。廃車するべき車両も出てきていく中、新車両の投入ができなかったからです。当時、国鉄の財務状況が悪化し、労働紛争の真っただ中でした。のちにJRとなっていきますが、当然技術革新も進みません。すべての足かせになっていく中、0系は新技術ではないものの安定した性能を発揮していたのです。そこで、延命措置を繰り返していくことになりました。苦渋の選択が生んだ長命車両だったといえるでしょう。